メモ

忘れっぽいです

『かぐや姫の物語』

かぐや姫の物語
http://kaguyahime-monogatari.jp

監督:高畑勲
脚本:高畑勲、坂口理子



現代における竹取物語って、何が面白いのか分からない。何が語りたいのか分からない。テーマや教示が見えてこない。日本人の誰もが知っているのに、誰も面白く語れない、とても奇妙な物語だと思います。


円谷英二はずっと竹取物語の映画化を望んでいました。残念ながらそれは叶わぬまま亡くなり、後に田中友幸制作で監督市川崑、特技監督中野昭慶、脚本菊島隆三/石上三登志/日高真也という恐ろしいメンツによって、宇宙船が出てくる『竹取物語』というキテレツな映画になります。

かぐや姫は初代東宝シンデレラグランプリになったお陰で妙な特撮映画にやたら出ている沢口靖子、竹取の翁に三船敏郎、その妻に若尾文子。やたらと豪華なキャスト。円谷特撮の王道スタッフ。市川崑の演出。これだけ揃っていれば、多少つまらないストーリーでも映画的な見どころが生まれそうな物ですが、『竹取物語』にそんな救いはありません。何が面白いのか分からない竹取物語の物語を、分からないままに映像にした結果、全く掴み所の無い退屈な映画となってしまいました。


このあまりに危険な題材の退屈さ、それでも語り継がれている不思議さ。高畑勲監督はそれに対して、奇抜なアニメーション表現の面白さでどうにか切り抜けるんじゃないかなー、と、僕はナメた予想をしていました。が、とんでもない。それどころじゃなかった。

確かに豊かな演出とアニメーションは期待以上に素晴らしく、それだけでも竹取物語の退屈さを誤魔化すに充分な出来です。しかし、高畑監督はその程度では終わらなかった。高畑監督は不可思議な竹取物語を完璧な形で解釈して、この掴み所が無く思えていた物語に「意義」を作り出してみせました。まさに映画内で描かれる、木から椀を生み出すあの泥臭くも鮮やかな手つきそのままに。『かぐや姫の物語』を見る事で、ようやく多くの日本人が竹取物語を真に「発見」出来るのだと思います。ああ、こういうお話だったのか、と。

キネ旬インタビューで監督は、メインのアニメーターと美術が優秀で僕は調整しただけ、と謙遜して仰っているけど、とんでもない。高畑監督が読み解いた物語が無ければ、どんなに美しい動きも背景も、見栄えだけの書き割りになっていたでしょう。


その上、高畑監督は劇中のわらべ唄の作詞作曲までしています。これがまた、素晴らしい仕事なのです。かつて歌は各地へ広がり、その土地に合わせて変化していきました。例えば『この空の花 長岡花火物語』で描かれるように、熊本県天草市の牛深ハイヤ節は、新潟の佐渡に伝わり佐渡おけさになりました。消費が加速し、技術が世界を縮めた現在、土地土地の文化により歌が変化する事はほとんど無く、僅かに子供たちの他愛ない替え歌などにその名残がある程度です。高畑監督はこの忘れられつつある「文化による歌の変化」を、一曲のシンプルなわらべ唄の中で見事表現してみせました。こんな曲まで作ってしまうなんて、高畑勲という人はどこまで凄いのか。



・キタエリによる後藤沙緒里バナシ。物まね上手い。さすが芸達者だなぁ。

[ 2013/11/25 21:42 ] 映画鑑賞記 | TB(0) | CM(0)
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Author:かりふら