メモ

忘れっぽいです

2016年に出会ったもの

すっかり家に閉じこもっていた一年でしたが、インターネットのおかげでさほど困りませんね。そんな2016年の、出会えて良かったもの、
「あらまあステキじゃない!」と、
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↑こんな顔になったものを、書きます。


1. 1970年のインド映画『Uski Roti
好みの映画に出会えた、というだけでなく、日本では全く知られていないけど、この世界にはマニ・カウルという凄い監督がいる、と発見した喜びが、とてつもなく大きかったです。


2. 今年の邦画『インターン!
「自分だけはこの良さが分かる!」なんて思っちゃうと、偏愛してしまいますよね。根強いファンがいるクソアニメって、そういう楽しみ方をしてる人が多いんじゃないかな。


3. アイドルマスター プラチナスターズ
一度は完全に興味を失ったアイマスのゲームを、今や毎日欠かさずプレイしてるんですからね。凄いことです。毎日やってるのにオーロラディーヴァ出ないってのも凄いことです。


4. ジョン・フォード監督作『太陽は光り輝く
映画はこれ一本あれば良い。なんて乱暴な事を思ってしまうほどの傑作。


5. Dyson Pure Hot+Cool Link
アフェリエイト枠。


6. 『この世界の片隅に
僕が昔ちょこっと付き合っていた女の子が自殺したと、風の便りに聞きました。事故で亡くなったカレシの後を追ったそうです。彼女には、母と兄がいて、三人暮らしの母子家庭でした。彼女が亡くなる前に、心の脆い人だった兄もまた、自殺しています。成人するまで育てた子が二人とも自殺し、それでも母親は以前と変わらぬパートタイムの仕事を続け、独り、暮らしています。その心境がいかなるものか、僕には見当もつきません。

『この世界の片隅に』を見て、僕はその事を思いました。玉音放送のシーンに、しれっと加わっている近所のおばちゃん、刈谷さん。
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劇中の刈谷さんは最初から最後まで表情を変える事なく、感情も表に出しません。しかし彼女もまた、我が身を呪うような後悔と悲しみの経験をしている人です。悲しみの度合いなど測れませんが、夫と弟を既に亡くし、その上あんな形で息子との今生の別れをして、一人残された彼女の状況は、主人公すずよりも悲惨かもしれない。でも彼女はこの物語の主人公ではないから、しれっとした顔をしながら一体何を思っているのか詳しく描かれる事はない。ただ、しれっとした顔で生きている、という事が提示されるだけ。

「うちしか持っとらん それの記憶がある」
すずが言う通り、人は誰しも、その人しか持ち得ぬ記憶を抱えています。人は記憶の器かもしれない。でも、この世界の片隅にいるほとんど全ての人は、物語の主人公のように記憶を器から外に出すこともなく、しれっとした顔で生きていきます。だから僕には、二人の子を亡くそうと今日も変わらずパートのおばちゃんでいるあの母親が、どんな記憶を抱え、どんな心境でいるのか、見当もつきません。

あなたからすれば、僕もそうですし、僕からすれば、あなたもそうです。しれっとした顔で生きている。でも、一人一人それぞれに記憶を抱えている。
記憶を器から出す必要があるのか、僕には分かりません。良い事ばかりとは思えないからです。共有された記憶は歴史となり、時に憎しみや論争も生みます。
それよりも大切なのは、「うちしか持っとらん それの記憶」を誰もが抱えていると認識する。そういう事だろうと、僕は思います。あなたの大切な人であろうと、あなたが気にも留めない人であろうと、あなたを攻撃する人であろうと、あなたが攻撃する人であろうと。もちろん僕自身、あなた自身も。
そしてもう一つ大切なのは、消えてしまいそうな器の記憶に思いを馳せること。この作品がそうであるように。


7. なーんて事を思わなければやっていけない程度に、他人が怖くて仕方がない僕にとって、とてもパーソナルな映画になったのが日活ロマンポルノの名作として名高い『人妻集団暴行致死事件』でした。最近は「もう映画の感想や解説、製作の裏話やインタビューは見ない!俺はただそこにある映画だけを見る!」と言う映画需要スタイルを心がけていますが、人様に評価されている物はやっぱり良い事が多いですね。


8. 『バズビー・バークリーの集れ! 仲間たち
1943年12月公開のミュージカル映画。すずの記憶で言えば、彼女に縁談が持ち込まれた時期に、アメリカではこんな狂乱の映像がスクリーンに映し出されヒットしていたんだなぁ。


9. Davis Ayer
とてもユニークな写真家さんです。


10. 東方同人誌
タイトルの字数順に
上元』サークル:砂亭
ゆめゆめわするる』サークル:風前ランプ
親愛なるラプンツェルたちへ』サークル:paseri
特に響いた三冊です。簡単な感想は追記に。感想、というより印象ですが。




では、以下に追記として、それぞれについてもう少し書きます。

1. 『Uski Roti』
1970年、インド、マニ・カウル監督



遠く離れた村から、歩いて、歩いて、待って、待って、一日に一度この道を通るバス運転手の夫にお弁当のパンを渡す。そんな毎日を繰り返す女性のお話。

映像や音は、観客に状況を提示するだけで、説明はしない。ショットは一つ一つが長く、ゆっくりしている。こんなにも淡々とした作品は、当時のインド映画界では異端だったでしょう。


ロベール・ブレッソン監督作の影響が端々に見えますが、それ以上に、映画の質感や物語の希薄さが、10年後20年後に登場するタル・ベーラやシャルナス・バルタスと通じているように感じました。ただ、それら三人の監督作ほどの厳格さ、映画全体に張り詰める緊張は、このマニ・カウル監督の初長編にはありません。
むしろ、不思議と風通しの良い映画です。既存の気風に縛られぬ新たな映画が生まれた時の、突き抜けた空気感があります。全く雰囲気の異なる映画ですが、例えば『悪魔のいけにえ』とか『狂い咲きサンダーロード』のような。

地平線まで伸びる長いあぜ道や、なめらかなクリーム色の住居の土壁、木々に降り注ぐ陽と大地に落ちる影。日々の生活に囚われている主人公とは裏腹に、世界は豊かに広がっていますが、彼女の目は、世界を直視するのを避けるように、いつもぼんやりしています。
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彼女がまっすぐな眼差しを見せるのは、豊かな景色が画面から消えてしまう、純黒の闇夜の中だけ。そして、その時が訪れるのは、ラスト・ショットだけです。だからこそ本作のラストは、美しく印象的です。


マニ・カウル監督は、日本ではほとんど紹介されていないようです。ネットでは、1988年シネマスコーレ「大インド映画祭」と、2007年のフィルムセンター企画「インド映画の輝き」で、『夫になりたかった幽霊 "Duvidha"』が上映された事しか確認できませんでした(監督名は「マニ・コウル」と表記されています)。

1973年制作『夫になりたかった幽霊』は長編三作目で、人物が静止しているショットや静止画が多用される、写実的絵本のようなカラー作品です。『Uski Roti』では時折おぼつかない所があったカメラも(僕はそれが好きですが)、ここでは見事な様式を会得し、トラディショナルな衣装や建築物を堂々と捉えます。監督の代表作と言える、屈指の傑作です。

また、マニ・カウル監督はドキュメンタリー映画も複数撮っています。
1980年の『Arrival』という短編は、ジョルジュ・フランジュ監督『獣の血』を彷彿とさせる、屠殺場など食材の出所を映し出すドキュメンタリー。親切丁寧なドキュメンタリーであれば説明ナレーションを入れそうな場面で、凄まじくノイジーなシンセ音を響かせてしまう演出が実にラディカルです。

1989年『Siddeshwari』は、1976年に亡くなったSiddeshwari Deviという伝統的女性歌手のドキュメンタリー。しかし明快な伝記映画ではありません。その歌に乗せて、観客をインド文化そのものを巡る旅にいざなってしまう詩情豊かな作品で、アンゲロプロス映画から具体的なストーリーを取り去ったような趣があります。


数多くの個性的な映画を残して、マニ・カウル監督は2011年に亡くなりました。これまで日本で知られずにいたように、おそらく今後も日本で発見される事は無いでしょう。しかしながら、ある種の映画好きにとってかけがえのない存在となりうる監督です。先に名を挙げたシャルナス・バルタス、タル・ベーラ、あるいはソクーロフやタルコフスキーの映画に惹かれる人であれば、マニ・カウル監督の映画は一見の価値があると思います。



2. 『インターン!』
2016年、日本、吉田秋生(よしだあきお)監督



http://intern-movie.jp

観客は身勝手なもので、自分の理解が追いつかない物は意味不明だと見放し、自分の理解より遅れて進行する物は馬鹿馬鹿しいと見下します。ありがたがるのは自分に都合の良い物ばかりです(娯楽や情報が多い今の時代、わざわざ理解しがたい映画に歩み寄る徒労など選ばないのは当然かもしれませんが)。

その上、本作は結果が分かりきっている王道ストーリー。企画としても、見る前から下に見られやすいタイプの作品です(僕だって、監督がTBSドラマのベテラン演出家である吉田秋生だと事前に知らなければ、積極的に見ようと思わなかったでしょう)。

こういう映画を、最後まで観客にナメられる事なく、サラッと面白く見せてしまう演出。
予定調和や無理矢理や演技力や予算や規制や作り手の都合といった諸々の映画外の事情を、逆手に取ったりねじ伏せたりしながら映画の中にもう一つの世界を成立させ、観客を納得させてしまう演出。
それを「テレビドラマでいつもやってる当然の演出」として軽やかにこなしてしまう所に惚れ惚れします。


今は共感が喜ばれる時代です。SNSで使われる「いいね」という言葉がその象徴でしょう。今のエンターテイメントで生まれてしまうヌルさは、共感してもらおうと作り手が受け手に擦り寄る姿勢に起因する所が大きいのかもしれません。

力づくでも理論づくめでも見世物精神でもアクションでも色仕掛けでも何でもいい。僕の倫理観で許せないものも、相手の理不尽な言い分も、全て乗り越えて納得させてくれる、あるいは打ち負かしてくれる、そういう映画が、やっぱり見たいです。



3. アイドルマスター プラチナスターズ

作り手も受け手も漠然と共有していた「ドームですよっ!ドームっっ!」という目標を、見事な10thライブで実現した今、765プロの次の目標は何だろう。私たちは、765プロが今度どうなることを望んでいるのだろう。

終わらない、という幸せ。終われない、という不幸。
あるいは、変わらぬ765プロという安心。変われぬ765プロの限界。

言い方はどうあれ、次のヴィジョンを明確に出来ぬまま、終わるつもりはないので現状維持で続いている今の765プロ。その状況そのものが、プラチナスターズという終わらないゲームの構造として立ち現れているように思います。

現状を悲観している訳ではありません。
作り手だって馬鹿じゃないのだから、765プロを継続していくのなら今後どうするか考えているだろうし、停滞が見て取れたのなら何かしらのアクションを起こすでしょう。今は他のプロジェクトと手を取ることだって出来ます。
それに今回はビジュアルを新たにしたからこそ、本質は敢えて変化させなかった、という面もあると思います。かつて一気に変化を盛り込んだ事で、エライ目にあっていますからね。

だから、悲観する気は一切ありません。むしろ、数多くのコンテンツがうたかたに生まれ消えゆく中で、10年以上続いて安定期に辿り着いた偉業と、その最新作をゆっくりと味わえる穏やかな時間を、とても楽しんでいます。皮肉じゃないです。本当です。500時間超えてもオーロラディーヴァ出ないけど怒ってないです。

何より、他のプロジェクトが全力疾走しているからこそ、歴戦のプロデューサーたちの故郷として、「アイドルマスター」の軸として、変わらぬ765プロである事が今はとても重要なのかもしれません。僕がすんなりアイマスに戻れたのも、彼女たちが変わっていなかったからですし。


あと、今回のコミュは軽めに見えるけど実はメッチャ良く出来てるよね、と長々と考察していたのですが、本当にバカみたいに長くなったのでやめときます。
一部の高ランクコミュが、今のアイマス公式の「Pとアイドルは絶対に一線を超えない」という姿勢に基づいて、かつて一線を超えていた無印EDを再定義する内容になっているのが興味深い、、、というか単純にスキですね。僕のアイマス観そのものなので。

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ところで亜美ってイケメンな顔してますよね。あずささんが32歳になると、亜美は24歳。その頃の亜美はあずささんよりちょっと背が高い170cmくらいになってたりして、、、亜美があずささんの運命の人ってのもイイんじゃないかなー、と最近妄想しています。ゲームしてるのに暇で暇で妄想が進むゲームなんて、このゲームしかないですよね。


4. 『太陽は光り輝く』
1953年、米国、ジョン・フォード監督



黒人は白人の召使いとして扱われ、娼婦は人とも思われていない、偏見に凝り固まったアメリカ南部の田舎町。一人の娼婦を送る葬列は、蔑まれ、嘲笑される。葬いの列に並ぶ者などなく、祈ってくれる牧師も居ない。
そんな中、主人公だけが、毅然として葬列に参加している。彼の振る舞いを見て、一人、また一人と、人々が葬列に加わっていく。

こんなにも最も胸を打つシーン、あまり品のない言い方をするなら、こんなにも的確に泣かせるシーンは、映画史上、他に存在しないかもしれません。
正直なところ今年は、マニ・カウル監督を見つけ、他の7,80年代のインド映画がどうだったのか知るべく物色する以外、この映画ばかり見ていました。『散り行く花』『サンライズ』『悪魔のいけにえ』と共に、生涯見返すであろう一作。



5. Dyson Pure Hot+Cool Link

http://www.dyson.co.jp/fans-and-heaters/purifiers/dyson-pure-hot-cool-link/overview.aspx

6月から9月までほとんど晴れ間が無く、雨ばかり。おかげで今年の北海道は農産物が甚大な被害を受けたのですが、僕の健康被害もなかなかのものでして、空気清浄機を導入しました。電気は食いますが、冬場の灯油代が激減しそうなのでまあ良し。ダイソン製品特有の「持ってるだけで何か嬉しい」感だけでなく、スマホ連動により携帯圏内であればどこからでも起動可能で、日々の空気と使用状況を勝手に記録してくれる機能性がしっかりあるのも良し。ただ、かなり人や使用環境を選びますね。一台三役とはいえ、一台の価格で扇風機ヒーター清浄機余裕で買えるし、ランニングコストは高いし、冷暖房機能は広いリビングには不向きだし。大枚はたいたけど冬場の脱衣所かトイレ行き、なんて事も普通にありそうです。省スペースで済むのとスマホ連動に余程の魅力を感じない限りイマイチな製品かもしれません。ウチにはとても合いました。引きこもり生活がより快適になり、外出する気が一層失せております。



6. 『この世界の片隅に』
2016年、日本、片渕須直監督


"Directed by John Ford"というジョン・フォード監督に関するドキュメンタリー映画があります。スピルバーグやイーストウッドなど錚々たる監督陣がインタビューを受けつつもジョン・フォード監督作を語る言葉を掴みあぐねている中で(映画の中の映画であるその作品群を言葉に出来ないのは当たり前ですが)、ウォルター・ヒル監督だけはうまく言葉に出来る領分を見出しています。

そんなウォルター・ヒル監督のコメントの一つに「家族は世界に対する防壁になる」という物がありました。
「家族」は、「仲間」や「地域」といったコミュニティに置き換える事も出来るでしょう。礼節やしきたりは、その中に敬いを生み、防壁をより強固にします。


やがて世界と防壁が衝突する時、互いの力が強固であればあるほど、その悲劇性は増します。人は世界に勝利しません。ほころびた防壁を繕いながら生き延びる事が、人に出来る精一杯の抗いです。

この悲劇や、そこから生まれる感動や衝撃は、物語の領分です。まだ言葉に出来る部分です。
この悲劇の、どの部分を、どんな距離感で捉えるのか。その確かさが、表現芸術の強度を高めるのだと思います。その媒体でしか成し得ぬ事だから「この感動を言葉にできない」となるのでしょう。その感動を言葉にできたのなら、その言葉は既に、詩、もしくは文学です。芸術です。

ジョン・フォード監督はいつも、極めて通俗的で分かりやすいお話を、完璧な距離感で捉えました。誰もが親しめる娯楽映画、だけど、その美しさは言葉にすると雪のように溶けて消えてしまう。
映画『この世界の片隅に』も、そんなところがあります。


現代屈指の歴史の暴虐と、つつしみ深い家族の生活。『この世界の片隅に』はその対峙を、歴史的悲劇や御涙頂戴として飾り立てることなく、ただ寄り添い、見つめます。

あの時代の広島・呉が舞台でもあざとくならないのは、ジョン・フォードがそうであったように、誠実で謙虚な気持ちで人に寄り添える作家が、人の美しい瞬間や尊さを捉えるとき自ずとそういった場面に出会ってしまうからかもしれません。

寄り添うこと。そして認めること。それが、人のできる最も思いやりある行為です。
映画が出来るのは、この世界の片隅で、寄り添い、見つめること。認めることは、観客に委ねる。それが映画の礼節です。



7. 『人妻集団暴行致死事件』
1978年、日本、田中登監督


定職に付けず学生感覚が抜けない三人のワルぶった若造たち。室田日出男演じる主人公は、かつても自分はそうだったと共に酒を飲んだり小遣いをやったりと目をかけていた。しかし自分が酔いつぶれた夜、三人はノリで彼の白痴の妻を犯そうとし、はずみで殺してしまう。
だが主人公は、三人を責めることが出来なかった。むしろ思慮の至らぬ自分を徹底的に責めて責めて責め抜いて、追い詰めていく。

そんな主人公をどう見るかは、人によって随分と違うようです。三人の中には、恩人の大切な人を殺しておきながらアッサリと日常へ戻ってしまう者もいるというのに、いつまでも自分を責め続ける主人公を見て、憤りや苛立ちを覚える人もいるかもしれません。
僕は、他人事と思えなかった。自分自身を見ているようでした。
僕は自分以外の人間が怖くて仕方ないので、わざわざ辺鄙な所で暮らしています。僕は、他人にどうしたらいいのかが全く分からない。とはいえ嫌われたくもないので勝手に気を使って空回りして疲れ果て、ひたすらにストレスを溜め込んで壊れてしまう。僕は時折、人から「優しい」と言ってもらえますが、そうじゃないのです。ただ他人に対して臆病なだけなのです。他人を責めるのが怖いから、いつもいつまでも自分を責めてしまう。この映画は、まさに僕そのものでした。



8. 『バズビー・バークリーの集れ! 仲間たち』
1943年、米国、バスビー・バークリー監督


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ニコニコのBB動画のような画が、このミュージカル映画のクライマックスの一コマです。人が踊るばかりがミュージカルだと思うなかれ、と言わんばかりに、ラスト3分間はアブストラクトな映像そのものを踊らせてしまう狂乱の映画。これが1943年のアメリカで、平然と興行収入トップ10入りしていたそうです。

こういった、前衛を平然と突き抜けていく大衆性は、何処から生まれるのでしょうね。イエサブさんとか、最近ならツイッターのspace ganahaの人とか、かなりエッジが効いた事やってるのに妙に大衆性がある。そして、他の人がマネようとしても凡庸になる。僕もイエサブさんのBB合作参加した事ありますけど、全然面白くならなかったですからね。僕の動画が面白くないのはいつもの事だけど。



9. Davis Ayer
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http://www.davisayer.com
多重露光や現像時の処理で、まどろみの夢のような不思議な質感のアナログ写真を撮る写真家が、Alison ScarpullaやRachel Gistなどなど、ここ2,3年の間で次々と登場していたようです(僕は最近知った)。
なまじクセの強い手法なだけに、写真家は違えど似通った雰囲気になりがちなスタイルですが、Davis Ayerの写真には独自の質感があります。「肌触り」と呼んだ方が良いかもしれません。対象物を写し取る/切り取るというより、刻み込むという方がしっくりくるような「この手で触れてみたい」と思わせる質感です。



10. 東方同人誌


『上元』サークル:砂亭
多くの要素を消化しているのに、軽みがある。原作漫画の方の『この世界の片隅に』を思わす筆致の作品です。
『この世界の片隅に』ついでに、先の項で書いた「礼節やしきたりが敬いを生む」という話に絡めると、「妖怪」もまた、自然や未知なるものに対する礼節の現れですね。子供時代、水木しげる先生のお陰で多かれ少なかれ古典妖怪に触れているのって、自然や未知、あるいは昔の日常を知る最良の入り口だったのだなと、今更ながらに思います。



『ゆめゆめわするる』サークル:風前ランプ
ルーミアは、1ボスと言えど妖怪。僕は、ルーミアが一般人にとって恐ろしい存在として描写されているお話が好きです。この作品には、畏怖される理由が、しかも忌避の対象として最上級の理由が、でも優しい理由があって、胸に染み入ります。



『親愛なるラプンツェルたちへ』サークル:paseri
包丁のお話が特に好きです。私たちはなぜそれをするのか分からない。なのに、それをしなければならない、ということは、なぜか分かってしまう。
[ 2016/12/16 20:44 ] 未分類 | TB(0) | CM(5)
あれ、投稿失敗したかな...
この記事でアイマスがまだ元気なのを(シンデレラはシンデレラなんで)確認できて、また動画いじりたい欲が。諸々の道具が捨てられずに埃をかぶってます。

それにしてもメガネ亜美すげーかわいいですね
[ 2016/12/22 20:21 ] [ 編集 ]
「このメガネ亜美のスクショ撮りたい!」ってのが僕のプラチナスターズ購入動機ですからね、そりゃもうかわいいですよね。本文では765プロ変わってねー、とか書いてますけど、ビジュアル面の刷新はやっぱり大きな変化で。亜美は今回の変更で最も恩恵を受けているアイドルだと思います。どの表情も、とにかくかわいい。

アイマスが始まって10年以上。アイマスMADも来年で10年ですからね、去っていった人もたくさんいて、周囲の顔ぶれも随分と変わりました。「プロデューサー!元気でやってる?」なんてMADを作ったのも、もう7年前になるんですね。歳を取るわけだわ。
それでも、765プロが変わらずにいるおかげで、時折ふらっと戻ってくる人や、ちらっと顔を見せてくれる人がいるんですよね。数年ぶりに会って「おお!元気でやってる?」と気軽に挨拶できる相手や場所があるって、幸せです。
[ 2016/12/22 22:05 ] [ 編集 ]
クッキーの設定が間違ってたかな...
かりふらさんのコメントの最後の部分、今更で意味がわかりました。
まあそういう事もあるかな程度に解釈してたら、ある意味事件レベルの話もあったみたいですね。

黙っててもTwitterから情報が流れてくるようなつもりでいましたけど、何ともはや。
[ 2016/12/27 05:55 ] [ 編集 ]
アイマス界隈で嵐が吹き荒れることもあったし、現実でも地震雷火事親父いろいろとありましたからね。
「いつの間にか、あの人いなくなっちゃったね」って感じの人がいっぱいいます。
(僕も今はMAD作ってないので、他の人からそう思われているかもしれませんが)

僕がアイマスと出会う以前にネット上でやりとりしていた人たちは、今は何の関わり合いもなく、どこで何をしているのか皆目見当もつかない人たちばかりです。
でも、アイマス以降に出会った人は、僕がただ「アイマスが好き」であるだけで、時折、再会できるんですよね。
今年は、プラチナスターズ発売もあったし、僕自身が久しぶりにアイマスに戻ったのもあって、特にそういう事が多かった。


、、、って何でこんな話してるんだ。
動画いじりたい欲、動画いじりたい欲ね。
今回、随分とモデル変わりましたけど、動画編集ソフトのタイムラインに置いてじっくり見るとね、やっぱりかわいいですよ!オススメ!
ちなみに実機で見ると、光の表現が凄いです。ステージ上に空気が存在しているような、確かな質量感があります。
ただmp4にするとその質感が飛んじゃうから、僕はなかなかプラチナスターズでMAD作る気になれないんですよねぇ。。。
[ 2016/12/27 09:35 ] [ 編集 ]
「あの人たちを連れ戻すプラチナスターズ恐るべし」みたいなツイートも見ましたが、それを見た後にしてみればまさに納得のメガネ亜美です。しかもそれは断片。ああでもPS4とか買うとなったらアイマスだけでは済まなくて、pro本体+PSVR+Rez∞行きそうだなあ、懐具合が怖いなあ。

まあ自分の場合は「なんかやりたい」が主眼というか主目的というか、ネタ向きの原動力ですね。あと単に好きな曲聴かせたいのでやり切ったつもりがないからまたやりたいってところなのでコンテンツからは距離があっても気にならないようです。L4U素材でもやる。
[ 2016/12/27 11:50 ] [ 編集 ]
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Author:かりふら